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渡辺精二遺作展 - 誰も教えてくれない道 -

昨年死去した画家・渡辺精二は認知症で筆を置くまで、生活と画業の合間であきらめることなく誠実に描き続けました。「画家の道」は、誰も教えてくれない道。一歩一歩、孤独に模索し続けなければならない道です。そして内なる資質を開花させるための闘いです。めぐまれた環境に生まれなかった才能にもちいさな光を与えられる可能性があるとしたら、その光をまた私たちは受け取ることが出来るでしょう。いつか残った作品は生きている間の運不運に関係なく冷静に見つめられる時を待ちます。日常に流されていく現実の中ではなかなか捉え難いものを捜していただけたらと思います。

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川俣風景 1947頃 F4

3/14(金)~23(日) ,2008  会期中無休 終了致しました。
AM 11:00 ~ PM 7:00( 最終日PM 5:00 )


本展ではお車の駐車スペースございます。


画家・渡辺精二について ――――――

「絹の里」として独特な文化的土壌を持つ福島県川俣町に生まれた渡辺精二。早くに両親を亡くした精二は、絵画に強い想いを持ちながらも中学2年の途中から働かなければなりませんでした。戦後世の中全体がゼロの出発点になった時、22歳で丸樹長三郎に師事して絵をはじめます。労働者たちが絵を発表するグループ「蒼穹社」に参加するなど文化活動に打ち込みますが、27歳で画家への道をめざし上京します。
 東京では吉井忠を師とし新たに自由美術協会を選び活動を始めます。28歳で初入選、以後6回出品を続けます。29歳で結婚。39歳頃まで家族の肖像を暖かなまなざしで描きました。同時に「絵と生活の両立」「戦争の記憶」など様々なこころの葛藤を感じさせる作品を描きます。しかし子供の成長と共に余裕がなくなり、昭和38年、自由美術協会の分裂と共に吉井忠氏につづいて出品をやめ、昭和54年に主体美術協会に出品するようになるまで16年のブランクを経ます。復帰後、1998年まで毎年出品し続けますが、ついに会員に推挙されることはありませんでした。しかし師・吉井忠の存在と共に主体美術協会を愛し、あきらめることなく出品を続けます。認知症と診断される七年程前から抽象画を描き始め、長女・容子氏は少しずつ具象を描く力が衰えていたのではないかと言います。けれども抽象の中に新たな生の道を探ろうとした闘いであったと思われます。 
 主体美術協会を離れ、家族との闘病生活に入ります。2004年容子氏が画集を出版。83歳にて他界。誠実に歩き続けた一生でした。

年 譜 ――――――

1924年(大13)  福島県川俣町、広瀬川を背にする旅館 『渡専』 の次男として生まれる。実家にはいつ誰が買ったものかわからない「世界美術全集」があり、大変な興味を持っていた。
1935年(昭10)  11歳 母死去
1939年(昭14)  15歳 中学2年で川俣の東邦銀行に勤める。まもなく肋膜炎により半年の入院。
1940年(昭15)  16歳 父死去
1945年(昭20)  21歳 1月入営、内地動員となる。9月復員、10月東邦銀行福島支店勤務。
1946年(昭21)  22歳 戦中戦後の混乱期で忙しく食料のない状況から退職。川俣町文化協会事務局。故丸樹長三郎先生(1900-1972/二紀会)に師事して絵を始める。弟子の自由と個性を生かす師であり、多くの人が集う場となっていた。自由美術協会参加後も交流は続いた。
1948年(昭23)  24歳 グループ蒼穹社に参加。以後毎年出品する。
1951年(昭26)  27歳 自活とともに画家をめざして上京。通信機販売、自動車プレス製作会社などに勤務。夜間はモデルデッサンに通う。
1952年(昭和27) 28歳 自由美術協会初入選。以後6回出品。故吉井忠先生(1908-1999/自由美術)に師事し、アンデバンダン展、平和美術展に出品。
1953年(昭和28) 29歳 結婚
1954年(昭和29) 30歳 長女誕生
1956年(昭和31) 32歳 次女誕生
1961年(昭和36) 37歳 作品が地方展へ巡回 (自由美術協会展)
1962年(昭和37) 38歳 二点、入選 (自由美術協会展)
1963年(昭和38) 39歳 自由美術協会分裂。出品をやめる。子供の成長と共に描く余裕がなくなる。
1968年(昭和43) 44歳 美光写苑に勤務 (経理部)
1978年(昭和53) 54歳 個展開催。十六年のブランクに「益々戻らぬ力に苦しむ」
1979年(昭和54) 55歳 主体美術協会に出品。以後1998年まで20年間出品する。
1983年(昭和58) 59歳 美光写苑、退職
1984年(昭和59) 60歳 久我山ギャラリーにて個展 
1989年(平成元) 65歳 東京川俣会を初代会長として再発足。
1993年(平成 5)  69歳 画紡(荻窪)にて個展
1998年(平成10) 74歳 認知症と診断され、主体美術協会を離れる。
1999年(平成11) 75歳 師・吉井忠死去
2004年(平成16) 80歳 渡辺容子編集により画集出版
2007年(平成19) 83歳 死去

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